vol.17
- “流行り言葉” の教育論
- 社団法人 日本図書教材協会会長
- 国立教育政策研究所名誉所員
- 菱村 幸彦
教育界にはいつの時代も流行りのキーワードがある。平成に入ってからも、「新しい学力観」「生きる力」「ゆとり教育」といったキーワードが続いている。こうした言葉は、時代の流れを一言でいい表すものとして、それなりに便利である。それに、トレンディなキーワードで装った教育論は、一見、新鮮味があって世に受ける。
しかし、流行り言葉で語る教育論は、用語の定義が不明確のせいもあって、論者により、議論の中身がさまざまで、ともすれば我が田に水を引くような論議が少なくない。
過日も『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(岩木秀夫著)という本を読んでいて、エッ?と思った。同書中に「新しい学力観は・・・学習指導要領の基本的なねらいにかかげられた『基礎・基本』という考え方の、コペルニクス的な転換でした」という一文に出会ったからだ。
学習指導要領がかかげる基礎・基本といえば、各教科の目標と内容ということになる。それがコペルニクス的な転換をしたなんてことがあり得るのか。
国語や算数や理科など各教科の目標・内容は、学問に基づく教科の理論と実践の場で積み重ねられた経験をもとに、長い年月をかけて練り上げられたものだ。それは簡単に変わるものではないし、変えるべきものでもない。ましてコペルニクス的転換なんてことはあり得ない。
学習指導要領の改訂のたびに、全面改訂と銘打つけれど、各教科の目標・内容に関する限り、実際は部分改訂に過ぎない。そのことは、教科の専門家ならよく知っていることだ。「新しい学力観」で基礎・基本が根本から変わったというのは、流行りのキーワードに惑わされた(または惑わした)言説というよりない。
私は、長年教育行政に携わった後、中高一貫校の校長を経験した。教育現場に立ったとき、中教審が提唱する「生きる力」という言葉が、「遠い声」にしか聞こえなかった。このキーワードが、日々の教育実践にどう役に立つかわからなかったからだ。
中教審は、新しく「人間力」「教師力」「学校力」というキーワードを掲げている。私は、こうしたキーワードで教育を語ることは、もうやるまいと思っている。
〜図書教材新報vol.17(平成18年9月発行)巻頭言より〜