vol.29

PISAの試験が求めているもの
社団法人 日本図書教材協会理事
東京学芸大学名誉教授
杉山 吉茂

OECD(経済協力開発機構)が行ったPISAの試験で我が国の成績があまり芳しくなかったこと、そして、その問題がこれまでの知識・技能を問うだけの問題ではなかったことが話題をよんだ。その影響で、文部科学省が行った学力調査でも、総合的な応用力を問うような問題群 が用意された。

そのような問題(PISA型の問題といわせてもらう)の開発がおおいに期待されているところであるが、それが試験対策のためと考えてはならないと思う。ともすると、PISA型の問題をたくさん解かせることによって、PISA型の問題を解決する力をつければよいと考えられてしまうかもしれない。しかし、そのように短絡的に考えるべきではない。

PISA型の問題が我々に問うていることは、我が国の教育のあり方である。端的に言えば、我が国の教育は入学試験に焦点が当てられている。必修教科の未履修、あるいは統計の軽視などのような科目の選択においても、また、技能の習熟が落ちることを恐れて電卓やコンピュータを使わせることを嫌う傾向、知識の切り売りと技能の習熟のみに重点を置く学習指導等々、いずれも入学試験への対応から出ていることである。入学試験に出るような問題が解ける力をつければいいというのが、我が国の現状であろう。

それに対して、PISA型の問題は、数学について言えば、数学の目で事象を把握し、数学を用いて予測をし、数学を用いて問題を解決する能力を見ようとしている。というよりそういう力をもっている人材を育てることをねらいとしている。

この試験を行なっているOECDは、文字通り世界の経済力の開発・発展を促進することをねらっている機構である。そのための学力を、読解力と数学と科学の力と考えているようであるが、それらを単なる知識としてもっているだけでなく、それらが生きて使われる力となっているかを調べているところに特徴がある。

読解力は、国語の力を見るものであろうが、ただ字が読めて書けるだけで終わらず、書かれていることから、いろいろなことを読みとれるまでになっていることを求めているものである。

読解力は、国語だけに求められることではない。数学でも科学でも求められることである。数学的に見、科学的に見る目をもち、それらを使って問題解決、創造的活動ができることを期待している。

とするならば、日頃の教育活動からそうなるようでなければならない。子どもに関わりのある事柄と関連し、子どもにとって意味のあるような学習の場を用意し、子どもに価値がわかるような授業、生きる力につながる授業が求められる。そうした授業ができる方向での教材の準備が望まれるところである。

〜図書教材新報vol.29(平成19年9月発行)巻頭言より〜