vol.60

変われば進歩?
社団法人 日本図書教材協会理事
東京学芸大学名誉教授
杉山 吉茂

昨年の10月末、検査に行った病院で、突如入院するように言われ、1月余入院を余儀なくされた。最初は戸惑ったが、あり余る程の時間が与えれらたことを有難く思い、読もうと思っていた本を読むことにした。そのなかの1冊に「忘れられた日本人」(宮本常一著 岩波文庫)がある。藤原正彦さんが文藝春秋の「名著講義」で取り上げられていたもので、古い日本人の生きざま、日本人らしさを伝えている。その本の「解説」のなかに、民族学者宮本常一の自叙伝「民族学の旅」からの次の引用がある。

『私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけてきた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩あるものをも進歩と誤解し・・・。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う』

そこには、時代の進展のなかで、日本人のよさが失われつつあることへの憂いがあるのだが、これを読んで、台湾でお年寄りから聞いた日本人評を思い出した。日本人は、身なりは質素で、礼儀正しく、静かに話し、勤勉でしたと。

私の恩師和田義信氏は、古い数学書「九章算術」や「塵刧記」の改訂されたものを見ると、改められた部分だけ見ればよくなったように見えるが、大きく見ると、原著者の意図が失われて悪くなっているところがあるといわれていた。

戦後、教育課程が改訂され続けてきたのであるが、日本の教育は進歩してきているといえるのだろうか。今度の改訂も、よいと思えないところがあるのだが、変化だから進歩と思われているような節がある。教材の改訂も行われるのであろうが、目先の手直しに止まらず、真の進歩であるようでありたいものである。

〜図書教材新報vol.60(平成22年4月発行)巻頭言より〜